社会活動としての展望
今日、生徒の将来について考える機会があった。
どうすれば前を向いて生きていけるか。
これは何も生徒達だけの話ではなく、自分も同じ立場だと改めて感じる場面もあった。
…というのも、去年、過労で倒れてから、無茶が効かない年齢に突入してきたんだなとの実感が沸いてきており、周囲からも、後任者の養成を積極的に行う必要があるのでは?との声も出てる。
自分の活動が、社会にとって必要な存在であり、必要な仕事だと認識されているのは凄く有難いと感じている。
でも、今の仕事をそのままの形で残す事には懐疑的。まだまだ粗削りの活動であり、後任者を育成する段階にまでは到達できているとは考えられないから。
マッカーサーの「老兵は死なず、消え去るのみ」との名言から引用すると、老兵として挑み続けて、次の世代に引き継げる枠組みを作るまでが役割との軸が、自分の中に存在している。
社会が抱えている問題は、そんなに簡単には解決ができない。失敗や回り道、苦手がハンディとなる社会構造は、日本社会の特性として無くなる事はないと思う。ある種の自然淘汰のように。
支援領域で考えても、専門家の養成はできているけど、ジェネラリストの養成はできていない。パーツはあるけど骨組みがない状態。再生できる人材が再生できない状況。
だからこそ、背骨のような役割をもった、スーパージェネラリスト(専門分野をもった広範囲の知識を有した人材)としての枠組みを日本社会に刻みたい。
塾としては、ポテンシャルを最大限に開花できる教育体制の構築を行い、支援者としては、発達や精神的な問題を抱えていたとしても、ポテンシャルに近いレベルまでの社会的立ち位置の再生を担う。
その子なりにタスクペイヤーとして活躍できるように養成、再生する事が、社会貢献にも繋がる。
その為に今すべき事は、学びを深めていく事であり、社会的専門的立ち位置も得る事。
何かを学ぶのは学生だけの特権ではなく、人類に平等に与えられた権利。年齢だって関係ない。
決して楽な道程ではないけど、一人の大人として、子供達やその家族の人生を担う教育者、支援者として、まだまだ前に進まなければと感じている。
生徒にばかりブログを書いて貰っているので、たまには自分も書かないとな…と気まぐれで書いてみた。
俺も自分の道を刻む為に頑張るから、皆も、自分の道を見定めて、ゆっくりでも良いから、着実に前に進もう!どんなに無謀な挑戦でも、若さは可能性しかないから!
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